STORY, 第四章 私の食歴

4-2 私の食歴 ホテル編①


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華やかなホテルでは、着飾った人々が披露宴、

パーティ、謝恩会・テーブルマナー、展示会、

国際会議、ディナーショー、

様々なイベントが連日展開されております。

私も、そんな華やかな世界に憧れ長くこの業界で働いていました。キラキラ

大阪の調理師学校をかろうじて卒業して最初に働いたのが、

大阪丸ビル内のホテル

レストランキッチン。シェフ

運よく?

同期では私だけフレンチのメインダイニングに配属。

コールド場で野菜、オードブル、ドレッシングなど

しかし

洗剤やストレスと肌のトラブルで手荒れがひどく悪化し戦線離脱。

約1年で退職。

調理の世界を断念を余儀なくされその後は、

水仕事のたびに悩まされました。

気分一転。

ホテルは大好きなので、接客の仕事に転向。

当時、バブルの絶頂期にできた大阪外資系がオープン

宴会サービスに奇跡的に合格。

経験値ほとんどない私が強運で合格。

後で知ったのが、運よく欠員が出たかららしい。

オープニングスタッフとして貴重な経験させて頂きました。

宴会の仕事は、様々な趣旨のパーティがあり、

披露宴、結納、会議などあり

最低3年は下積みが必要。結婚。

しかし、

運がいいのか悪いのか、人手が足りないこともあり

私は1年で黒服を着てしまいました。

ウエイターからアシスタントマネージャーへ

実力が伴わない、中身が薄っぺらい

それからは、ハッキリ言って地獄のような洗礼を浴びました。

もちろん上司からはこっぴどくやられましたし、

私より経験豊かな年下の配膳人に馬鹿にされますし、

常勤の配膳人の中には、子供扱いされたり、

言った支持をやってもらえない

おまけに、アルバイトの学生にも裏で馬鹿にされる始末・・

社員としてのプライドだけ

内部バトルも勃発。

子供じみた世界ですが・・・

配ぜん人の経験者とあわや 殴り合い寸前へ・・・

その後は2年で退社

オーストラリア永住という野望をもって退職。

帰国してからは、配膳会でお世話になりました。

滋賀県の琵琶湖周辺のホテル住み込みしながらを転々。

リゾートホテルや近江八幡のホテル勤務

2人目の嫁さんと結婚もしたころ

この頃は20代半ばで40万~50万稼いでいました。

絶頂期(笑)

そうそう

大阪ホテルの頃の披露宴でのご祝儀はいい小遣いでした・・・・

一回の婚礼で最低1万円!

高額では数万円!!

バブル万歳でしたよ!(笑)

基本は、宴会関係者にお金お渡しして皆で忘年会などで使う。

時々、こっそりお小遣いな時も・・・

そのストックされた高額祝儀の行方で問題も発生したこともあり・・・

定かではないが(汗)

そして、別の仕事にも就職しましたが、

次に働いたのが海外「グアム」のホテル。ヤシの木

2年の契約で、タイトルはマネージャーとしてでありましたが、

ほとんど調理です。

うどん割烹屋で、居酒屋メニュー

でも

ここのうどんだしは大変好評でした。

うどんすきは絶品!!

数多くの芸能人が通ってくれていました。

強烈なキャラの親方で仕事。

いろいろ大変なことが次々と・・・


2013-10-15 | Posted in STORY, 第四章 私の食歴 |